わたしの現在地
- Ayako

- 2019年12月10日
- 読了時間: 2分
わたしは今どこにいるのだろう。
ふとそんな風に思った時、その駅名が見えた。
普段乗らない各停電車では、ときおり外を見なければどこにいるのかわからなくなる。知っている駅名が見えた途端、とても安堵した。
鉄道会社によって多少の違いはあるけれど、
赤や黄色、緑などの色で線が分けられ、それぞれの駅にはアルファベットや数字がふられている。
そんな誰が見てもわかりやすい標識は今となってはもう日常に当たり前にある風景だ。
なんとなくいつも当たり前にあるそんな標識に
こうやって示してくれているから、今どこにいるのかわかるのだと思った。

なぜかその延長線上で自分の年齢が頭に浮かんだ。
33歳。
もし自分の年齢がわからなければ、一体どんな感覚なんだろう。
歳を重ねていくことを肯定できる人も言れば、悲観してしまう人もいる。
私は全く気にしてこなかったけれど、今年になってはじめて、33歳と32歳では全く別の感覚になるのだと知った。
生きている年齢がたった一年違うだけなのに、どういった心境の変化なのだろう。
人は自分の持っているものを一つずつはがしていき、脱ぎ捨てていき、最後に残ったものが本来の自分というものらしい。
普段から世間的に慣れ親しまれた感覚、物やお金、見た目のわかりやすさを除けば私には一体何が残るだろう。

当たり前のものがあるおかげで私は今どこにいるのかわかることができる。
平穏に何の疑問も持たずに生きているのは、当たり前に感じることが多いからだろう。
時に自分の夢や目標があれば、今の自分の場所に違和感を覚えたり、疑問を持ったりする。
つい自分の現在地を考えては悩んだり立ち止まったりするけれど、
それが世間では当たり前すぎて、思ってしまう疑問なのかもしれない。
もしもそんな標識も当たり前もなければ、何も考えず、ただひたすらに目の前にあることに夢中になっているんじゃないかと思った。

けれど、もし何かに変化を起こしたり、きっかけを作りたいのなら自分の現在地を知ることはとても大切なのかもしれない。
最近忘れかけていた何かを思い出した気がした。






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