どうなりたいかよりも、どうありたいか
- Ayako

- 2019年11月3日
- 読了時間: 2分
自分に正直でいないと途端に体調を崩す。
一見外的要因に見えることも、実際は自分の内面に影響されていたりする。
嫌なものに対して抵抗する術なんて山ほどあるけれど
結局そのどれもが自分の本来の姿でないのなら
外に対してあらがうほどに、どんどん心は荒んでいく。
いつかメンタルが壊れる要因は自分を誤魔化して誤魔化して誤魔化して、
誤魔化していることすらわからなくなったときだと聞いた。
そうして本来の自分の気持ちもわからなくなり
自分がわからなくなり
自分を失くしてしまうらしい。
人からされた嫌なこと
悲しくなる言葉
怒りが生まれる出来事
そのどれもに影響を受けたのは事実だけれど
そこで一旦ただただ嫌だったと
ただただ悲しいと
ただただ腹が立ったんだと認めてしまえば、
もしかしたら意外とあとに残らないのかもしれない。
過去の嫌なことを思い出したり抵抗してしまうのは
結局そんな出来事を受け入れられないからだろう。
もしも、本来の自分のまま一旦受けいれ、自分の中で消化することができたら
意外と自分の外側で起こったことは気にならないのかもしれない。
嫌な人、出来事にあっても抵抗できるくらいの強さがほしい、強くなりたい。
そんな風に思っていた。
けれど実際はそうなりたいのではなく、
私はいつも自分でありたいのだ。
自分のありたい姿でありながら、そういったことをさらっと受け止め流していきたいんだ。
この間、私はこういう人になりたいのではなく、どうありたいかを大切にしたいのだと気付いた。自分の違和感に気が付かないのは、その目的からずれてしまうからだろう。
あなたはいつでもありたい自分でいられてますか。
なりたい自分よりもありたい自分を大切にすれば
いつのまにか問題なんて感じなくなるかもしれないね。






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