書くということ
- Ayako

- 2019年10月6日
- 読了時間: 3分
書くことが好きだ。
小学生の時、初めて日記帳を買ってもらった。
海外らしいテディベアの表紙、中身は一年分の日付が書いてあった。
日々、3行くらいの書けるスペースがあって毎日開いてはひたすら書いていた。
一度大人になってから読み返してみたら
算数のテストがあった。
難しかった。
国語はできた。
そんなことが書いてあった。
いつしかいわゆる日記帳は使わなくなり、お気に入りのノートに書けるだけ書くようになった。
アンネの日記みたいに日記帳に名前をつけることはしなかったけど、それでも親友のように色んなことを話しかける感覚で書いた。
嬉しかったこと、悲しかったこと、人に言えないことをたくさん書いた。
いつからか寝る前の習慣になっていた。
思いのたけをなんの意識もせずに書くことは私を落ち着かせたし、今思えば自分の気持ちを消化させる場所だったのだと思う。
大学生になり夜中や明け方に帰ることも増えた。
だんだんだんだん書かなくなった。
重要な出来事は書くようにしたけど、書くよりも遊ぶことが大切だった。
交友関係が広がるほどにつぎは自分の気持ちがわからなくなった。
誰かに話すために悩みがあるのだろうか?
そう思ってしまうほどすべての悩みを友人に打ち明けた。
人によって意見が違うと自分の気持ちがわからなくなった。
やがて、日記というよりもただただ思ったことを書くようになった。
その日あった出来事よりもそれに対してどう思ったか。
どうしてそうされて嫌だったのか。なんで悲しかったのか。
友達に好きな人にどうしてほしかったのか。
自分の深い内面を書くようになった。
結局、小学生で書いていたことは今の私にはただのできごとにしか見えないけれど
ただただその瞬間思ったことを書いていたという点では原点に戻ったような気もした。
それから社会人になり、誰に見せるわけでもないノートに自分の本音を綴れなくなった。書こうとすると筆はとまり頭がぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
でもだからこそ書いたほうがすっきりする。
殴り書きでもいいから書いておけば書かないよりはましなのだ。
けれど、そうは思っても書かなきゃという気持ちは逆に私を焦らせた。
自分の頭を整理するために書きたい、ただの日記を書きたい。
ブログも書きたい。
書くことは大好きなのに難しいのはなぜだろう。
文章でおもいのたけを表現できる人はすごい。
頭の中にあることをただ書くだけなのに、ペンに乗せて綴ろうとすると言葉が変わってしまうのだ。
けれど、それでもやっぱり書きたいのだと思う。
読みにくいなと思っても、その時感じたことはその瞬間にしか存在しない。
自分の中にどれだけ根付いてようとも外に出てくるのは一瞬だからだ。
もしも頭で思ったことをありのまま表現できたならどんな気持ちになるのだろう。きっと嬉しさよりも驚きでいっぱいに違いない。
そんな日が来るかはわからないけれど、今書きたい気持ちをなるだけ書こうと思った。






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