停滞からの脱却と新しい人間関係
- Ayako

- 2019年10月19日
- 読了時間: 4分
もし違う選択をしていたら。
そう振り返ることは誰しも一度はあるんじゃないか。
けれど、最近思うのはおそらく必ず縁がある場所へはたどりつくし、縁がある人とは繋がっているのだと思う。

ふとそう思ったのはほんの半月前だ。
この1、2年ほどどうしてだか前に進んでいる気がしなかった。転職もしたし、環境も変わったし、すべて自分で選んだし、そのときベストな選択をしてきたのに、この違和感はなんだろう。
けれど不思議なのは、同じ職場へ復職したのに、組織が代わったりと人間関係ががらっと変わったことだ。
こう書けば、そりゃ会社の組織が変われば人間関係も変わるでしょうと思う人もいるかもしれない。けれど組織図が変わるなんてそうあることじゃないし、異動だってよほど決まっている企業でなければないことだし、少なくとも私の場合、何かの節目でしか人間関係は変わったことがない。
けれども最近の違和感の一番の原因はとっくの昔に気が付いていた。けれどどうしても気づきたくなかったのかもしれない、考え方が合う人が少なくなってしまったということに。
もちろん昔からの友人で変わらない関係の人もいるし、相談できる人だっている。けれどしっくり話が合う人が本当に少ないのだ。
頭に思い描いてもほとんどいない。
そうなってくると自分はおかしいのではないかという気になってしまう。
そんな風に思いながらあれ?これって中学、高校のときもそうだったなと思いだす。あの頃、話や気が合う友人がなかなかいなかった。先生と話すのが楽しかったくらい、なかなか同級生とは話が合わなかった。友達はいたけれど、いわゆる仲良しグループに属すわけでもなく、常に違和感があり、わたしって友達ができないくらい変な性格なのかと思ったりした。
ところが大学生になり、授業を受けたりアルバイトを始めた途端その環境が一変した。一気に何人もの気の合う友人ができたのだ。この時それまで自分に合う環境にいなかったのではないかと思った。そしてそんな状況が仮に今と同じならば、場所を変えれば改善できるかもしれないと思ったのだ。

そしてこの半年ほど色んな場所へ出かけた。会社の先輩と一緒に行った場所もあるし、一人で行った場所もある。やると決めたら徹底的にしないと気が済まない。とはいえ、意外とそこにさえ行けば受け身であっても知り合いはできたりする。これが本当に不思議なもので流れに任せていると自分から積極的にコミュニケーションを取らなくても自然と気があう人が隣にいるのだ。
こうして思ったのはうまくいっていない、停滞していると感じるときは色んなパターンがあるのだと思う。そして今の私の場合は廃れずに続けなさいということだ。今ここで自分はおかしいのかなと延々考えることはできるかもしれない。けれど、それよりも考え方が合う人に会いに行くほうが健全だし新しい交友関係も広がるし、そこでそんな方たちと意見を交換しあえば本当の改善点も見つかるだろう。そしていい意味での新しい視点も見えてくるのではないかと思った。
そして実際この方法は自分に合っているように感じる。普段の友人関係、職場との往復では得られない人たちと交流することは改めて人の多様性を知ることにつながった。今までの一人旅を通してもそういったことは痛感していたが、日本の日常の中にもたくさんの発見があることを知った。
やり方を変える、まったく違うことをする、とりあえず全部ストップして休んでみる。色々言われる中、本当にその人にあう方法は結局のところ自分で見つけていくしかないし、人にアドバイスをされたとしても実行するのは自分だ。
まだまだこの模索ははじまったばかりだけれど、ふとしたきっかけで、そういえば最近調子がいいなと思う日が来るのだろう。きっと気が付かないくらい自然に。

そして、思えばこのパターンは毎度のことなのだ。
行く場所も出逢う場所も、自分の年齢も置かれている環境も全然違うけれど何か停滞を感じるときは必ず考え、行動した。大小の違いはあれど、もがきまくっていたと思う。そんな風にがむしゃらに過ごしていると助言してくれる人が現れたり、のちに大切な人間関係になる人にも出会うのだ。そう、毎度毎度必ず大切な場所、大切は人に出会ってきた。
人はその時のシチュエーションに飲まれ、悩み、苦しんでしまうけれど、本当は違って見えるだけですべては同じなのかもしれない。
そう思えば今目の前にあることを一つずつ積み重ねることが、今わたしがするべきことなのだと思った。





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