傷つけることと優しくすること
- Ayako

- 2019年10月27日
- 読了時間: 2分
映画ジョーカーを観た。
みんなどんな感想を抱いたのだろう。
人は傷つけられたら、傷つけずにはいられなくなるのだろうか。
傷つけられすぎてズタボロになって、
悲しくなって、生きていくことすらつらくなるほどの言葉を投げかけられて、
絶望したら、人は周りに優しくできないのだろうか。
偽善者かもしれないけれど
どれだけ傷つけられても
廃れずおごらず、自分だけは優しくしないといけないんじゃないか。

たまに、なんであんな風に言ってしまったんだろうと思うときがある。
悪気がなかった一言でも、人を傷つけてしまうことがある。
逆もそうだ、
相手に悪気がなかったとしても、受け取る側として悲しくなってしまうこともある。
けれどそのたびに思うのは
いかに自分を律し続けられるかどうか。
自分自身は人に優しくし続けられるかどうかだと思う。
そして、もし傷つけるようなことがあっても、次は絶対にしないと自分と約束することだと思う。
傷つける社会も人も悪いのは事実。
けれどそれをどう受け止めその後どんな行動に出るかは自分次第だ。
人に優しくするというのは簡単ではないと思う。
一番傷ついている人が一番優しいなんていうけれど
本当にそうだろうか。
そんなに簡単だろうか?
傷がついて修復するまでに、どれくらいの時間がかかるのか知っていてそんなことを言うんだろうか。
どれだけくじけても廃れない強さなんて本当にあるのかわからないけれど、
それでも人に優しくなれる人でありたい。
人は例え無意識であっても自分で感情や行動を選択しているらしい。
それを実際に理性でコントロールするのは難しいかもしれない。
けれど、自分がされて嫌なことを人にするような、そんな風にはなりたくないと思った。

人は合わせ鏡だなんていうよね。
本当の意味で優しくなれたら、そんな悲しい出来事も減っていくんじゃないかと思った。





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