それでもなお
- Ayako

- 2019年10月25日
- 読了時間: 2分
それほどネガティブでない私も落ち込むと
この世から消え去りたくなる。
うまくいかないとかそんな単純なことではなくて
周りにたくさん人はいるのに
どうしてか孤独に感じてしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。
あまりにも暗すぎて誰にもそんなことは言えないけれど
向き合ってみれば誰かや自分に対する怒りの原本は悲しみなんだと気付いた。
理解されない悲しみ
伝わらない悲しみ
自分でできない悲しみ
うまくいかない悲しみ
予定通りに進まない悲しみ
どうにもならない現実に絶望してしまうのだと思う。
実際、本当にどうにもならないのかと言えばそんなことはない。
冷静になってみればたいがいのことはどうにかなる。
もし仕事が嫌ならやめればいい。
生活できないとか、そんなことを言ってやめない人がいるけれど働ける体があるのなら病気になる前にアルバイトでもしたほうがお給料は下がるだろうけどよほど健全だろう。
失恋したって時間が解決してくれることをこの歳になったら知っている。
いつか思ったことがある。
ひとつくらい叶わない恋があってもいいんじゃないかと。
恋愛や失恋を重ね、記憶は上書きされる。
その前に好きだった人のことを忘れるくらい恋したときにふと思ったのだ。
あんなに好きだったのに。こんな人はもう現れない。
そんな風にさえ思ったのに。
わたしは簡単に人を好きにはならないけれど、
ひとつくらい叶わなくても、それほど素敵な人に出会ただけで十分なのではないかと。
叶わなかったことを嘆くよりも、出会えたこと自体をもっと大切にしたいと思ったのだ。
人間関係がうまくいかないのなら変える努力をするしかない。
自分の側だけの問題ならば自分が変わればいいし、
相手の問題ならば離れる場合もあるかもしれない。
けれど自分以外のことは相手次第だからどうにもならない。
それをわかっていれば、いい距離感がつかめるようになると思う。

なりたいことに向かってどんなに頑張っても報われないこともある。
方向転換し、違う方向で頑張ってみる。けれどそれで成功してもなんだかもやもやして。
『これは自分がやりたいことではない』
そんなセリフを吐きたくなる日もある。
うまく行っている人がうらやましくてたまらない日もある。
けれどそれでもなお、今できることを積み重ねていくしかないのだ。
それでも、消えたいくら悲しい日にはそんな風に思えないけれど、
そんな日の自分にどんな日があってもいいじゃないという文章を残せたら。
そんな気持ちで、
わたしは今、これを書いている。






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